手作り酵素の考案者である河村氏が、ご自身の肝臓病改善のために興味を持ったのが「酵素」だったそうです。退院の後、故郷北海道の大自然の中に身を置き、その恩恵を味わい切るかのように酵素汁を自分で工夫して作っては飲む、を続けたそうです。
体調がどんどん良くなり、その変化を見たご友人知人に頼まれて教え、その恩恵に与る人達がどんどん増え続け、現在にいたっています。
ところでその酵素って何ですか!?
僕もネットで調べてみました。他人の知識の寄せ集めですが、手作り酵素の河村氏、先達の山本氏から教わったことも踏まえて、以下は僕の解釈でご紹介します。
一生に使える体内酵素の量は決まっている!?
先ずはじめに、、
酵素とは、細胞の中に含まれる「特殊なタンパク質」のことで、
これは微生物によって作り出されています。
微生物は酵素の事実上の生みの親にあたり、
故にそれを酵母(菌)と呼んだりしています。
私達の体の中ではありとあらゆる化学反応(生命活動)が行われていますが、
その化学反応には必ず触媒の働きが必要です。
(触媒:それ自体は変化しないが、化学反応の速度を変化させる物質。速くすり触媒を正触媒、遅くする触媒を負触媒という)
その触媒の働きを担う物質が「酵素」です。
酵素の働きは食べ物の消化吸収に始まり、
毒素分解、
排泄、
体温調整、
血圧、
筋肉運動、
神経伝達、
免疫活動、
自然治癒力、
他にも見る、
聞く、
臭う、
味わう、
感じる、
つまりこうやって考えることも、
笑うことも
怒ることも
喜ぶことも、
生きていること自体が生体内化学反応の連続で、
それには触媒である酵素の働きなしにはあり得ないということです。
酵素が、単なるたんぱく質やミネラル、糖、といった物質と違う点は
「活性」という性質があるためで、
この働きは建築における大工さんに喩えられます。
単に材料があっても家は建ちませんが、
そこに大工さん(酵素)が動くことで家(体)が建っていきます。
酵素が存在することで生体内の化学反応は、
なんと数千倍〜数十万倍、数百万倍だったかな?
それだけ驚異的に速やかに行われるそうです。
ただし、1種類の酵素は1種類の反応しかその触媒の働きをしません。
1種類の酵素が様々な物質に作用するということはなく、
例えばアミラーゼという酵素はデンプン以外の物質には決して作用しません。
何千種類もある生体内の化学反応は、
それぞれ一つ一つに専用の触媒(酵素)が必要というわけです。
ということは、大工さんの話でいくと、
型枠大工さんやら、
宮大工さんやら、
配管工事屋さんやら、
トビ職人さんやら、
棟梁やら、
いろんな職人さんが必要ってことなんだろう
そのためか、
酵素のほとんどは人間社会と同様に集団で行動する性質があり、
健康増進のために酵素を使う場合は、
1匹狼の酵素を利用するより
グループで動ける多種類の酵素の方がずっと効果的に働くそうです。
酵素なしで生命活動はありえません。
ゆえに酵素は「命の源」とも喩えられたりします。
そして酵素は現在確認されているだけでも3,000種以上あります。
よく注目されるビタミンやミネラルは、
酵素の触媒作用を助ける存在であるため
「補酵素」や「助酵素」(コエンザイム)と呼ばれています。
つまり酵素があってはじめて意味をなす存在です。
ところで、この「命の源」の酵素は、
従来はたんぱく質を摂取していれば体の中で勝手に作られると考えられていました。
ところが研究が進められて分かってきたことは、
「酵素を生産できる量(潜在酵素)は個々それぞれ決まっている」
ということです。(エドワード・ハウエル酵素寿命説 遺伝子研究で判明)
つまり有限。
寿命と同じく減っていくのみ、
消費していくのみです。
ただしその消費を遅らせることは可能です。
この説で考えていくと、いろんなことに合点がいきます。
喩えてみると・・・乾電池。
乾電池に貯蔵されている電力(潜在酵素)は日々放電し
→消化酵素と代謝酵素として消費されています。
電力の許容量を超えて負荷(暴飲暴食、ストレス等)を掛けると、
私達は不調を来します。
負荷(暴飲暴食やストレス等)から離れると
再び電力が供給され心身はもとの回転をしてくれます。
しかしそれは電力(潜在酵素)がある間だけです。
電力(潜在酵素)が枯渇し始めると途端に不調を来し、
今度は節電(摂生)しても湧き出る電力(酵素)がありません。
手術、治療してもある人はなんとか回復し、ある人は悪化する、
これは自己治癒力の源になる潜在酵素(貯蔵電力)の「量」に関係しているのではないでしょうか!?
昔と違って酵素を殆ど含まない食事が溢れ、
それを大食いする、飲む、
一方では比較競争社会のストレス
この習慣は潜在酵素の著しい消費の典型といえるようです。
ストレスは脳でたくさんの代謝酵素を必要します。
薬物摂取も代謝がフル回転します。
これはただでさえ弱って酵素が必要な体に
さらに薬物解毒の負担を掛けるので、
自然治癒はさらに働きにくくなるということでしょう。
手術、投薬等はこのような酵素の消費という面から観るならば、
望ましいこととはいえません。
病んだら食べない!?(潜在酵素の浪費を止める)
自然界の動物は自身の体調不良を回復するときは、
何も食べずにじっと静かにしています。
いわゆる断食です。
断食は人間も行いますがその目的の一つがやはり心身の回復にあるようです。
断食道場が各地に点在するくらいですから断食にはそれなりの価値があるわけです。
昔の貧乏大学生の場合、
望んでやった断食ではないにせよ
断食して体調がすこぶる良くなった話を聞いたことがあります。
私の友人は断食後に長年の水虫が完全に消えました。
肝臓の病で病院に担ぎ込まれたおじさんが
1ヶ月もの検査で点滴しか貰えず、結局体調が良くなって帰ってきた話もあります。
断食ではないですが、
かつて健康、長寿、大往生の村で知られた山梨県棡原(ゆずりはら)村の風習では、
妊娠した女性が良い出産を迎えるために、
なんと普段の食事より量をずっと(約半分に)減らしていたそうです。
少し脱線しますが、
アゲハの幼虫はサナギになって断食し、後にアゲハ蝶となります。
実際病んだときや環境が変化した時などは食欲が湧かなくなることはよくあります。
体内酵素の説明でいくと、
これらは普段食物消化に使っていた酵素を温存し、
それを自然治癒力や再生活動、免疫活動などの酵素としてまわしている状態ということです。
体内ではもの言わずとも、自然に、賢明に治癒力が働いてるわけですね。
(河村氏は手作り酵素を用いた「酵素断食」を著書で触れていました)
戦後の栄養学では
糖、脂肪、タンパク質の3大栄養を摂ることが重要視されていました。
今ではビタミン、ミネラル、アミノ酸の摂取が重要視されています。
ここまでは外部から栄養を摂れば酵素は無尽蔵に作られる、という考え方でした。
しかし体内で生産される酵素(潜在酵素)は有限である(酵素寿命説)、
という考え方で健康状態の変化を観てみると、
上記のように従来の栄養学だけでは理屈に合わないことも辻褄が合ってきます。
ちなみにドイツのイセルス博士は・・・、
「世界には名医が2人居る。食欲不振と発熱である」
と述べています。
面白いですね、
発熱も食欲不振も現代社会ではいまだに忌み嫌われ、薬や注射で排除される存在です。
しかしこの2人が名医というからには、
その名医(自然治癒力)に任せる方がうまく行くということです。
熱、体温
酵素が活躍するためには「温度」はとても重要な要素です。
酵素が最も活性出来る温度は概ね36℃~40℃で、
人の生命活動の温度とほぼ同じです。
48℃以上になると(酵素にもよりますが)高温によって変質し始めその効力が失われてしまいます(単なるたんぱく質化)。
たとえ新鮮な食物酵素も熱を加えることで変質し、
酵素としては意味を成さなくなってしまいます。
逆に36℃以下になってくると酵素の活性が鈍くなります。
体温が低下すると病が出てくる、「冷えは万病のもと」といわれますが、
それは酵素の性質を表しているといえます。
酵素の働きが鈍くなるにともなって体内の生命活動(新陳代謝や免疫力など)も当然機能しなくなり、ゆえに病気を招きやすくなります。
上記のとおり、名医の1人は「発熱」です。
発熱によって免疫力や廃毒、新陳代謝が飛躍的に高まり体の中を一掃してくれます。
その発熱に反して冷たいものを体内に摂るということは、
酵素活性で燃やした体温を水で消してしまうような行為に当たります。
これは消化酵素の力を弱め体温も低下し、
体はそれを補うために更なる酵素を投じます。
冷たい物の常食は、 冷えも塵も積もれば山となり、
体内のバランスが崩壊する一大要因ともいわれています。
酵素活性や免疫作用の大切さを理解するエステシャン達は、
特に女性の体は冷やさないことだけではなく、
冷たいものの飲食は勧めません。
それが結果的に肌や体型までもを衰えさせることを知っているからです。
「感性」に素直になる
自然界の動物は自らの感性にしたがって行動し、
医学や健康の知識はなくとも一切無駄のない奇麗な体をしています。
雀やツバメ、
野ウサギ、
鹿、
キジ、
イノシシ・・、
アフリカのライオン、
シマウマ、、、
自然の中に住む動物で肥満やアトピーになった動物を見かけることは出来ません。
私達も内奥の「感性」に少しずつでも素直に耳を傾けれるようになれば、
その暁には医療や健康産業依存を卒業しているはずです。
「知識」より正確な「感性」
本来人にもある動物的感性は、
有限とされる体内酵素を最も効率よく( その人らしく、その生き物らしく )使えるオペレーターではないでしょうか!?
因みに先に上げた棡原村の人達は、単なる長寿村ではなく、
ボケや寝たきりのお年寄りは一人もいなかったそうで、死ぬ直前まで意識鮮明、働きながら逝くような人達だったそうです。
(後に村に道が出来てから村の習慣が近代化し、それに慣れた若い世代が先に逝く「逆さ仏現象」が起ったそうです)
当時の棡原村の人達の最後は、まるで歯切れの良い乾電池みたいです。
手作り酵素の考案者、河村文雄氏は
「死ぬにもエネルギーが必要」と述べていましたが、
これはそういうことを言っているんだと思います。
有限の酵素ならば、
その人に本当に必要なことにだけ使う、
不必要なことには使わない。
それを成せるのはその人の「感性」であり、
それが生き物本来の自然な姿なんだ、と僕は思います。
「酵素が勿体ないからチビチビ使う」というような頭で考える消極的発想は、
動物もやっていないでしょうし、
棡原村のお年寄りも考えてなかった筈ですから。
酵素が豊富な食べ物(フジヒサの視点)
酵素が豊富な野菜、果物は放置しておいても基本的に腐りません、萎びていくだけです。それに風味が豊で食材独特の美味しさがあります。
しかし化学肥料(有機でも)で肥料過多の野菜は腐り易く、ズル気て溶けてしまう傾向があります。これは酵素が乏しいしるしです。
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★時間とともに味が増す(熟成)酵素に富む
-
★時間とともに腐る 酵素に乏しい
①発酵食品
手作りのお漬け物、お味噌、納豆などの発酵食品は生食よりも酵素、ビタミン、アミノ酸、酵母菌などすべての栄養価が豊かな優れものす。
↑加熱、殺菌処理していないこと(生きた細胞)が必要です。
そういう意味でも自分の手作りした物は、その過程を最も信頼できます。
②旬の野菜、果物(ただし肥料過多は不味い、腐り易い)
その季節、その地域で採れる作物は、
その時期その場での、絶えず変化している命の象徴です。
その命の象徴である旬の作物には、それぞれの酵素に充ち満ちています。
●例えば、ほったらかしのみかんの木、そこに成る小粒なみかんの皮は薄く、ぴんぴんに張っています。食べると明確な美味しさ、甘酸っぱくジューシーでとにかく美味しい。
●例えばスーパーのみかんで皮がブヨブヨ、食べても味が希薄というか何というか。
このときどちらを食べたいか?
味わいたいと思うのは物はどちらか?
本来は簡単単純な選択なわけです。
それが酵素の豊富な目安だとフジヒサは思っています。
面白いことに明確な美味しさ(酵素に富む)をもつ物は
「食べ過ぎ」がおこりません、或は「食べ過ぎ」が治まっていきます。
あー美味しかった!と無言のコトバを身体が実感しているような状態になります。
有機農法や自然農法とかの表示をどのように信用するかどうかは人それぞれですが、日頃から質の良い作物を見極め入手できるところを見付けておくことをお勧めします。
※輸入果物に注意
パイナップル、オレンジ、レモン、 バナナ、キーウィなど果物は食物酵素が多いとされています。ただ外国産は入念に薬物処理がほぼ100%されているらしいので果物酵素を摂る以外に薬物も摂ることになります。それに身土不二から外れるほか、旬ではないものまで沢山あります。そういう意味で勧めません。確かな国産で旬のものがあれば当然そちらを勧めます。しかしその質は②を参考に。
※生肉、刺身は、生なので酵素に富むはずです。が、
養殖飼育された動物、魚介類の肉は抗生物質やホルモン剤の宝庫です。
回遊魚でもとくに脂肪と内蔵に環境汚染物質が多量に含まれていることが分かっています
(手作り酵素エキスである程度分解処理する方法はありますが)
それと、お肉は火入れすると活きた酵素は望めません。
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精製、漂白、分離、抽出された物ほど鋭敏な薬理的作用は強くなりますが、もとある命のかたちからは遠くなります。
糖質(甘いもの、ポテチ、炭水化物を含む)、アルコール、ドラッグなど
依存(中毒)症状をまねく物は決まって何らかの精製がされた物ばかりです。
これは酵素(命)の飢餓感から出ている症状ではないかと思うのです。
それらの物が悪いと決めつけることは出来ませんが、
あまりにも精製された物に頼りすぎて、
命が希薄な習慣に気が付かないことは恐怖です。
私たちはこの「命」を頂くことによって「命」を伝承してきました。
何万年もの歴史を経て。
しかし第二次大戦後、とくに経済成長を遂げたこのわずか5、60年で、命の伝承に異変が起きていることはご存知の通りです。
豊かな自然は、動物、植物、微生物の命の循環が必ずなされています。
しかし今畑では生命の循環ではなく、産業廃棄物の投入が当たり前になされていますね。
「畑に産業廃棄物!?」と思うでしょうが、つまりそれは化学肥料のことです。
化学肥料(P,N,K)はもともと工業産業廃棄物をお金にする為の手段だったって、ご存知でしたか?これは100%断言出来る、と言えば、あなたはどう思うでしょうか?
僕はにわかには信じられませんでしたが。
土壌や作物の汚染はなにも農薬や除草剤だけじゃなかったんです。
命が循環する畑に、私達現代人は命とは関係ない物を放り込みました。
それは私達が命よりも、お金が循環することを選んだわけです。
よく見てください、
私達がスーパーで選んでいる(と思っている)野菜や果物、お肉、加工食品は、実はそれらの命を選んでいるのではなく、結局の所、お金を(で)選んでいるのです。
それによってお金(経済)は循環するようになりました、命を後回しにして。
自分の国が病人で溢れて悲鳴を上げていても、薬や健食を貪るばかりでなお命の循環は後回しです。
酵素が豊富な食品とは、
「命の循環」がなされていた物かどうか!
この視点で見れば末節的な情報に惑わされることがなくなると思います。
ただしこの視点で選ぶと、普段口にする殆どの食材が「命の循環」から逸脱したものであることが見えてきてしまいますが。
経済至上主義の世の中で、今はまだ命の循環を大事にして育てられた食材は僅かかもしれませんが、そういう物を選んでいくということは、つまるところ土(大地の微生物)を大事にしすることに繋がります。
それは水も、海や山、空気も大事にし、
結局は生き物みんなを大切にすることと繋がってきます。
生き物や地球のためにやる選択ではなく、
自分のための選択だとわかると、
その過程は大変であっても、楽しみの連続になります。
命(の循環)を選択することは、本物を選択することと同義です。
もう一つ、
命が希薄な食材にも命(酵素)を吹き込む作業があります、
それは手作りすることです。
私達の「手」にいた常在菌が陰でそれをやってくれています。
たとえ買ってきたパック入りのお惣菜でも、それをお皿に移替えお葱をパラパラかけるとか、そういった些細な手を掛ける気持ち(食事を味わい楽しむ気持ち)が、食材が手に触れる機会をつくり、常在菌が(僅かかもしれないけど)体内に入って活躍するチャンスが出来てくるのです。
上記のことは、とらわれてストレスになっても意味がありません。
今の自分の立ち位置から、命を味わう(実感する)愉しみが徐々にでも増して行くことが大切だと思います。
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料理研究家 辰巳芳子 文芸春秋11月号より抜粋
ヒトが人となるために
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๏ものを食べるということは、人間が人間らしくあるための根源的な営みです
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๏つくるということは、いのちを傾けてつくる、故につくった人のいのちは、氷片(いのちがしずまる方は氷をほしがる)にお供してしずまり逝く方の細胞の隅々まで、共に運ばれる。一つになれるのである。逝く方へ美味しさを差し上げたい理由は、ここにあるのではないか、「一つになる」。美味という自然のゆきつくところの深意かと思う。
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๏食べることを蔑ろににしては、ちゃんとした人生はあり得ないのよ。
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๏美味しさというのは、人間にとっていのちを上手に守っていくための一つの基準なのね
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๏みんな忙しい、忙しいの暮らしが当り前になてしまって、今の日本人全体が、本当の味や正しい食のあり方を考えるゆとりがないんですね
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๏“食べる”ということは、いのちの実感を最も端的に体験することです。もともといのちは分析するものではなく、実感するもの。それが実感でいないとき、私たちは不安になり、恐れを抱きます。この実感は、具体的であればあるほど心の奥深くに響いてきます。
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๏料理を教えてくれた人の心が、すーっと人の全身に染み渡っていきます。それはまさしく、いのちの肯定です。あなたが一緒に生きてくれてよかった、ということの表明であり、確認なのです。
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๏いのちをいのちたらしめるのは食事です。人間は、何を食べるかによって、どういう人間となるかが決まってくるのではないか、と思います。この場合の「何」とはただ単に食物だけではなく、人間が人間らしくいきるために必要なもの全てを含んでいます。
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๏人間全体に共通する最大公約数は「食べること」なんですね
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余談ですが、
卵アレルギーの人が、平飼いで抗生物質やホルモン剤など全く使わず(餌や鶏舎に薬物を全く使わないで)育てた鶏の卵を食べても、アレルギー反応が全く出なかった、って聞いたことありませんか?
リンゴアレルギーの人に、完全無農薬、無化学肥料の土地で育ったリンゴを食べてもらったら、同じくアレルギー反応が全く出なかった、そんな話聞いたことありませんか?
アレルギーを持っている人にとってはそれらを食べることは恐怖です。
しかしその本当の事実に直面した人は物事の見方が変わってきます。
自然に則した農業や生活習慣を実践する人達の中では、これらの事実は徐々に常識となっています。
手作り酵素を教えてくれた山本氏曰く、
「アレルギー持ってる人は、根が素直なんだよ!」と。
その人達は免疫異常じゃなくて、正常だからちゃんと反応してるんだ!と。